日本最大の前方後円墳
仁徳陵古墳は、日本最大の前方後円墳で全長(墳丘)486メートル、面積約46万平方メートル。三重の濠に囲まれており、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれています。上から見ると、円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。
古墳の中に入ることはできませんが、全周2.8キロメートルの周遊路が整備されており、濠の外からでもその巨大さを十分に実感することができます。また、全貌を肉眼で見るのはむずかしいですが、堺市役所高層館21階展望ロビーからおおよその姿を見ることができます。
拝所は、大仙公園側にあり整然として厳かな雰囲気です。
堺は南蛮貿易で栄えた町として有名です。
戦国時代に堺を訪れた宣教師ガスパル・ビレラは 堺を東洋のベニスと評しました。
自由で闊達な都市であり、世界中からあらゆる商品 がこの堺に集まりました。
芥子の実もこの時代にインドからもたらされたと云われます。
江戸時代初期には大阪、堺、和歌山で盛んに芥子が栽培されるようになりました。
千利休屋敷跡
堺、宿院 小島屋より徒歩1分
千利休に代表されるように堺は古くから茶の湯文化が発達してきた町であります。
お茶菓子にも歴史が感じられます。今も待ちのいたるところにその面影を見ることができます。
茶人・千利休の屋敷跡から歩くこと2分の場所に小島屋はあります。
千利休屋敷跡には椿の井戸があります。
利休は1522年堺の豪商魚屋の長男として生まれました。 17歳の時北向道陳に茶の湯を学び、のちに武野紹鴎に従事します。
利休は紹鴎が「わび茶」にまで高めた茶の文化をさらに「茶道」にまで昇華させていったのです。
堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた「情熱の歌人」与謝野晶子。
「みだれ髪」はその代表作。甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。
小島屋より徒歩3分
1557年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に建立。夏の陣で焼失後沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休好みの茶室実相庵などがあります。
室町初期に徳秀士蔭が開祖した臨済宗東福寺派寺院。納屋助左衛門等の居宅を移したとされる書院造りの部屋もある総檜造りの本堂と、17世紀前半の狩野派の作といわれる内部の障壁画は重要文化財です。
小島屋より徒歩10分